PLEASE/RCサクセション その2

「ダーリン・ミシン」の軽快なR&Rが終わると、ほとんど間髪入れずにエレキのジャーンという音。
これはきっと計算されたものだと思う。間髪入れず、これがいいのだ。コードはBだ。
ハードなギターのコードがかき鳴らされた後には、すごく可愛いくて印象に残るフレーズのSAX(クラリネット?)が入る。
そして、あの清志郎の歌だ。
Woo 授業をサボって 陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ 屋上で
たばこのけむり とても青くて
内ポケットにいつも トランジスタ・ラジオ

「トランジスタ・ラジオ」だ。何もいうことはない。名曲中の名曲だし、清志郎のRCの代表曲のひとつだ。
清志郎の、じゃない、日本のロックの傑作だ。日本のじゃない、世界の、といってもいいかもしれない。
当時から、今に至るまで、何度この出だしのフレーズを口ずさんだか数えられない。
青空が目に沁みるときには、いつも、このフレーズが頭の中をよぎるのだ。
以前にも書いた記憶があるが、「トランジスタ・ラジオ」は日常の一瞬をスパッと切りとって、それを簡単な言葉だけで表現したものだ。
この短い言葉のなかで、誰もが自分だけの体験を、あるいは歌詞のなかの主人公を容易に思い浮かべることができる。
これがホンモノの詩なんだと思う。
角田光代が「スローバラード」のことを書いたエッセーで、
声と歌詞とメロディとがとけあって、こんなにも饒舌な歌を私はほかに知らない。
と綴っているが、「トランジスタ・ラジオ」もまさにこれにあてはまると思う。
アルバム「PLEASE」は、「モーニング・コールをよろしく」、「たとえばこんなラヴ・ソング」と続く。
この2曲がまたたまらないのだ。
どちらもR&Bテイストで溢れている。
私が初めて聴いた当時はR&Bなんて知らなかったけど、この甘くて切なくて、とはいえ、お涙ちょうだいみたいなつまらないバラードではない、これらの曲はもう素直に心に響いてきた。
もちろん、今でも、である。
「PLEASE」では、「たとえばこんなラヴ・ソング」までは、自分のことを「ぼく」と呼んでいる。
「たとえばこんなラヴ・ソング」では「オイラ」だ。
この「ぼく」という言い方も新鮮だった。
ついでにいえば、「あの娘」も「君」もとても新鮮に聴こえた。
それまで歌謡曲くらいしか聴いてなかったけど、「ぼく」とか「あの娘」とか歌ってるものがあったのかな。
覚えてない。印象に残ってないだけなのかもしれない。
ただ、清志郎が歌う「ぼく」は新鮮だったのだ。
なにしろ、あの奇抜なファッションだ。髪が逆立って、化粧をして、ビートが効いたサウンドに「ぼく」。
とにかく新鮮だった。
「オイラ」は違う意味で新鮮だった。
当時でさえ、自分のことを「オイラ」とは言わなかったと思う。
それでも清志郎が歌えば、それが歌詞に溶け込んでいた。
なにしろ、
おまえが好きさ
オイラそれしか言えない
ほかの言葉しらない
だけど言葉で何が言える

なのだ。何が言いたいのかわからなくなってきたが、とにかく好きだった。
まさに、言葉で何が言える〜って感じだ。
続いては「DDはCCライダー」。
この曲はわからなかったなぁ。ほとんど言葉遊びのような、そんな曲だ。
後日、Animalsに「C. C. Rider」という曲があるのを知って、そこからヒントを得た曲なのかなとも思った。
が、それでも、じゃ、DDはなんなのだ。清志郎の曲には20年以上聴いていてもよくわからない曲も多い。
ま、意味などないのかもしれない。
ちなみにこの曲のコードは「C」と「D」で構成されている。
そして、アルバムA面最後の曲が「Sweet Soul Music」。
これまたR&Bの名曲だ。ゴキゲンな曲だ。たまらん。
とはいえ、初めて聴いたときはそれほど大好きって曲でもなかったかも。
この曲がカッコいーなーと思い始めたのは、たぶん、ライブバージョンを聴いてからだ。
曲の後半、大概、R&Bの名曲が組み込まれる。
このオリジナルバージョンでもOtisの「The Dock of the Bay」のフレーズが歌われているが、当時はわからなかった。
そのうち、そういった曲を知っていくうちにこの曲のよさがわかるようになってきた。そんな感じだ。
ということで、アルバム「PLEASE」B面からはまた後日。