図書館『聞蔵』では、1986年のSIONのほかに、1988年の清志郎(RC)も検索してみた。
1988年といえば、「COVERS」発売中止事件があった。事件と書いたが、当時の感覚では、ファンじゃなくても「事件」だったのだ。とりあえず、6月から8月にかけて検索して、ヒットした記事が3件。
1988.06.16 (夕刊) 『日本でも「反核ロック」』 (854文字)
1988.06.23 (朝刊) 『RCの「反原発ロック」、東芝EMIが突然の発売中止』 (1694文字)
1988.07.09 (夕刊) 『反原発ロックへの圧力に抗議、新曲を放送 RCの忌野清志郎』 (869文字)
まずは6月16日の夕刊。このとき既に「反核ロック」なる【ジャンル】がついていることが興味深い。出だしは、「反核、反原発の波がついにロックに及んだ」である。そして、RCが6月25日に発売する「ラブ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」、ブルーハーツの「チェルノブイリ」発売について言及し、ロックが本来もっていたはずのメディアとしての機能(メッセージ)について記載されている。
6月25日に発売予定のRCのシングルは、6月16日の時点では、少なくとも、報道機関には発売中止は伝わっていなかったことがわかる。
一週間後の6月23日、RCの発売中止のニュース。二日後が発売予定日だったことを考えると、まさに急転直下の決断だったのだろう。このニュースがまさに「事件」だった。私はこの記事で発売中止を知ったんだったかな。たぶん、そうだと思う。そして、この記事も切り抜きをしたはずだ、なくしてしまったけど。
記事には、東芝EMI側は「中止理由について一切ノーコメント」と書かれている。20年近く経った今でも、その真相は不明だ。
東芝EMIの発売中止の告知は、「「COVERS」8月6日発売予定/「ラヴ・ミー・テンダー」6月25日発売予定」上記の作品はすばらしすぎて発売出来ません」という奇妙なものだったが、これは同日あるいはその数日の間だったと思う。
清志郎(RC)も、当時は、コメントらしいコメントは一切していないと思うが、同年8月日比谷野音で行われたライブを収録した「コブラの悩み」で清志郎の怒りを十二分に知ることが出来る。
で、その8月13日、14日の日比谷野音が発売中止以来のメディア露出だとばかり思っていたが、違っていた。
それが、7月9日の清志郎のFM出演記事だ。
8日深夜に放送された「夜をぶっとばせ!」のなかで、新曲が4曲放送されたと書かれている。その新曲は「コブラの悩み」にも収録されている「アイ・シャル・ビー・リリースト」、「ヘルプ」、「軽薄なジャーナリスト」、「心配させないで」だ。
この記事は初めてみたし、放送も聞いていないので、これは驚いた。
「軽薄なジャーナリスト」は、新聞記事にも書かれているが、「反原発の旗手にかつぎ上げようとする」メディアを痛烈に批判した歌だ。発売中止から2週間足らずで、当の東芝はもちろん、その報道のあり方まで怒りの矛先を向け、そして歌にしているのだ。
ついでに、清志郎の辞書ともいえる「生卵」を開いてみる。88年の8月野音の前に、ライブが4~5本あった。この発売中止騒動の渦中、8月野音以外のライブでは、どのような曲をどのように演奏したんだろう。7月8日には、一連の騒動の反動歌ができているのだ。これらは演奏されたのだろうか。とても興味深い。
そして、これらの記事を眺めると、確かにメディアは、勝手に「反核ロック」、「反原発ロック」などと騒いでいたこともわかる。清志郎は、「君はLove Me Tenderを聴いたか?」で、
反原発ロックなんてそんな音楽があるとは知らなかった
ただのロックじゃないか なんか変だな
レコード会社も新聞もテレビも雑誌もFMも ばかみたい
あーあ、何を騒いでたの
と、歌っている。
「反核ロック」、「反原発ロック」などという言葉は、いまや完全に死語だ。
これがいいことなのか悪いことなのか。
ただ、私はあの夏のことをいつまでも忘れないだろう。
88年の夏といえば、「COVERS」なのだ。
