ドッキングなう!

宇宙飛行士の野口聡一さんの現在最新のTweetだ。
野口さんの現在地は「International Space」だ。
そのうちTwitterの面白さをちょっと書こうとおもっていつつ、だらだらと時間が過ぎてしまった。
が、この「ドッキングなう!」は私が思うところのTwitterの面白さを表したつぶやきだと思う。
なにしろ、宇宙からのコトバだ。
リアルタイムだ。
これだけで凄いじゃないか。と思う。
どういう仕組みで宇宙からメッセージを送っているのかは分からないが、野口さんはほぼリアルタイムで情報を発信してくれている。
しかもむちゃくちゃ綺麗な写真が付いていることが多い。
月の写真とか、地球の写真とか。
なにしろ、宇宙からの写真だ。
リアルタイムだ。
これだけで凄いじゃないか。
私が地球のアジアの日本の関東地方の小さな町で、あーだこーだ悩んでいる時に、富士山の写真とかが送られてくるのだ。
で、Twitterの面白いところは、そんなロマンに溢れたメッセージと同時に「眠い」とか「腹減った」とか、こう言っては何だが、どーでもいいTweetが次々と流れてくる。
もちろん、清志郎への愛が溢れたものや、日本やアジアや世界やメディア等々の行末を杞憂したものなんかも流れてくる。
ついでに、と言っては失礼だが、首相や大臣のコトバなんかもまったく脈略なく表示されていく。
私は夜の電車の窓から見える風景がけっこう好きだ。
マンションとか住宅の光が無数に瞬いて見える。
なんてことはない風景だ。
が、あれらの一つ一つの光の下では、それぞれの生活があるはずだ。
一人で暮らしている光もあれば、家族団らんの光かもしれない。
まったくもってそれぞれだ。
平和だなー。戦時中ではこんな光は溢れないだろう。
そんなことを思いながら電車にゆられるのもそれほど嫌いじゃない。
Twitterのタイムライン(自分がフォローしている方のつぶやきがだらだらと表示される)を眺めていると、電車から流れていく風景を見ている時と似たような思いを感じることがある。
みな、それぞれなのだ。
あたりまえだが、それぞれなのだ。
だがしかし、その規模がそれこそ地球規模なのだ。
私は英語を読めないので、日本の方のTweetしか見てないが、そのとき世界中の人がどこかしらでつぶやいてたりしているはずだ。
そして、そのとき、頭の上では宇宙飛行士が「ドッキングなう!」なんて発していたりするのだ。
これは面白い。
と、ただただ人のTweetを眺めているだけでも面白いのだが、自分が発したコトバに、見ず知らずの誰かが反応してくれてちょっとしたコミュニケーションが発生することもある。
これはこれでとっても面白い。
Twitterは、よく、ゆるいつながりというキーワードで語られる。
確かに、これはゆるい。
なにしろ140文字しか書けないし。
1回のTweetではそれほど突っ込んだことも書けないだろう。
でも、それがいいのだ。なんだかちょうどいい感じなのだ。
仕組みが単純なので、とにかく敷居が低い。
そして、Webブラウザや専用アプリケーション、スマートフォン、携帯など多くのツールからアクセス可能だ。
特に携帯やスマートフォンにおいては、外出先から気軽に利用できることを意味しており、これが思いのほか、気持ちイイ。
さらに、仕組みが単純でありながら、絶妙に設計されており、使い勝手がすこぶる良い。
私は既に半年位利用しているが、まだ使っていない機能もけっこーある。
とりあえずは、それらを知らなくても、通常利用する際はさほど不自由を感じない。
これは自由度が高いということだと思う。
使い方は、これまた人それぞれだ、ということだろう。
フォローする、フォローされるということを、ことさら気にする必要はない。と私は思う。
これもまた人それぞれだ。
私は現在60人くらいの方をフォローさせていただいているが、ここまでくるのに半年かかった。
人によっては、一日で、このくらいフォローすることもできるだろう。
フォローする方が増えれば増えるほど、当然ながら、情報量は増える。
それらをすべて追うのも、飛ばすのも、もちろん、自由だ。
と、頭の中で整理しないままダラダラと書いてしまったが、コミュニケーションがほとほと苦手な私でさえ、なんとなく楽しめるTwitter。
一度経験してみると、なんとなくわかる、と思う。
大げさに言えば、世界観が変わる。かもしれない。と、思う。
テレビの映像のなかの野口さんよりも、野口さんによる「ドッキングなう!」というTweetを受け取る方が、よりリアル感があることは確かだ。
Soichi Noguchi 野口 聡一 (Astro_Soichi) on Twitterは、こちら